おはようございます。古江です。
もうじき梅雨入りの季節となってきましね。こういった時期は体調の変化もしやすいことから、色々と気をつけたいところです。
GW明けは主に外回りに重点を置いて活動しておりました。そのためブログの更新も少なめとなっていましたが、正直なところこのぐらいの頻度が丁度良いのでは無いかと思っています。最近はLGBT法案関係のニュースが多く、推進派と反対派の意見が日々ぶつかっています。
AGSとしては、同性婚に関しては法的な整備を進めるべきと思っておりますが、その他に関してはまだ慎重に議論を重ねる必要があると思っています。LGBT法案に関しては書き始めると非常に長くなってしまうためこの辺りにしておきますが、少なくとも本人が身体的性とは別の性の専用スペースを利用する場合はGID診断を受けている事は必須事項にするべきであると考えています。
さて、今回のブログで書きたいなと思っていることは、タイトルにもあるとおり、”本当に変わらなければならない事”についてです。
私としては二つあると思っていまして、ひとつは親の理解、もうひとつは職場の理解です。
性自認や性趣向に悩む本人の大きなハードルとして、まず両親の理解があります。厳格なご両親であればあるほど子供としてはカミングアウトすることに不安を覚えますし、家族という一番身近な存在に自分が正直になれないというのは多大な精神的負担を強いることに繋がるのです。
そしてもう一つは職場の理解。ジェンダー教育などを行っている企業は少しずつ増えていますが、制度としてそれを落とし込めているか?というとどうでしょうか?性同一性障害(性別違和・性別不合)で別性として生きている場合は定期的な性ホルモンの摂取が必要ですし、SRS(性別適合手術)を行う場合は長期休暇や術後のケアも考えなければなりません。
職場などでLGBTに対して理解がある人達を、アライと呼びます。英単語のallyは「仲間」や「同盟」(同盟は正確にはAlliance)を表す単語で、そこから転じてLGBT当事者たちに共感し、寄り添いたいと思う人を指すようになったといいます。
しかしこの言葉、本当に必要なのでしょうか?アライでない人達は敵なのでしょうか?
LGBTという言葉もそうですが、シスジェンダーを一般基準にする考えが、その他を区別するためにそうした言葉が発生していくのであり、身体的性がどうであれ、性自認・性の振る舞い・性趣向(ジェンダーを構成する4台要素のうち3つ)の組み合わせは人それぞれの自由であるという概念が一般常識と言われるまでに浸透すれば、そうした言葉もいらなくなるのです。
アライに関しても、わたしは必要だとは思いませんし、むしろ逆効果だと感じています。アライになる事が重要なのではありません。貴方が少しでも理解したいと思うその気持ちに大きな意味があるのです。
全てのジェンダーが生きやすい社会を作るには、ご両親の理解や職場の理解が不可欠です。AGSはこの二つに理解が得られるよう今後も様々な活動を行っていく予定です。