こんにちは。古江です。猛暑真っ盛りで非常に体調管理が難しい時期ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
さて、今日はアウティングに関する事を書いていこうと思います。先日おそらく日本では初のアウティングに対する労災判定が出ました。
詳細はリンク先でご確認頂きたいと思いますが、要約しますと、とある男性が上司から同性パートナーと同居していることをパート従業員の一人に勝手に話され、その事が原因で精神疾患を発症し2年後に会社を退社。その後に事が労災と認定され、会社側は謝罪と解決金を支払い、再発防止のための社員教育を男性に約束した。と言うものです。
この事から考えられる大切なことは何でしょうか?
LGBT問題は繊細なことだから、アウティング(性自認や性趣向を第三者に言いふらす事)は気をつけなければならない。ではありません。(大事なことではあります)
わたしが大切にしなければならないと思う事は、あらゆる性が当たり前であり、あらゆる愛が自然である。という認識です。
何故アウティングという言葉が生まれ、アウティングで傷つく事になるのでしょう?わたしも最悪な状況かつ最悪なタイミングでアウティングを受けた経験があるため、その心の苦しみは痛いほどよく分かりますが、異性愛が当たり前という間違った認識が、アウティングと言う言葉を生み出し、それをされたことで心が傷つくという状況を作り出しているのです。
そもそも、あらゆる性が当たり前であり、あらゆる愛が自然であるという考えが広く一般的であるなら、同性愛を隠すこともなくなりますし、LGBTという単語自体を使う必要もなくなります。LGBTを特別な人達と思うこと自体が現場をより困難なものとし、問題を生み出していくのです。
今後もこういった事が増えていくと思いますが、企業等の組織に求められている事は、あらゆる性が当たり前であり、あらゆる愛が自然であるという概念と、社会的に非常に辛い立場に置かれている性同一性障害者(特にMTF)への支援です。性同一性障害者ならFTM(女性から男性)もMTF(男性から女性)も変わらないのでは?と思われるかもしれませんが、心の性自認と外見を違和感の無いレベルまで引き上げる為の努力はMTFは非常に厳しいものがあり、社会的に警戒および危険な存在として一部から認識されている現状を考えると、企業や組織側のサポートが必須なのではないかと感じています。
2000年以降、世の中の変化は非常に早いものがありますが、私達人間もその変化に対応していかなければならないと思っています。