ご無沙汰しております。古江です。
前回の更新から大分長く期間が空いておりますが、毎日を無事に過ごしております。色々と業務や様々な事が重なり、ブログを書く時間が取れなかった事が原因ですが、主にトランスジェンダーのMTFに対する偏見や誤った情報、ヘイト的な情報等を目にせざるを得ない事も多いため、精神的に疲弊していたと言う事も事実です。
つい先日の事になりますが、私の所属する日本GID(性同一性障害)学会が行っているエキスパート研修会を無事に修了する事が出来ました。このエキスパート研修会というのは、GID学会が認定している医療コーディネーター、教育コーディネーターに必須の研修でして、主に医師や教員関係者等の条件を満たしたGID学会員が受講できる研修となっています。
私の場合はジェンダーコンサルタントという立場もあり、GIDやジェンダーの見識を深める為に参加したわけですが、GID学会の最新の見解を学ぶ事が出来た事は、とても実のある事だったと思っています。
数日前にFTMの方の戸籍の性別変更に対する手術要件が違法であるという判決が出ましたが、もう一件MTFの方が手術要件撤廃の申し立てをしており、15人の裁判官全員による大法廷での審理が決まったことで、過去の判例と異なる判断が出るか注目が集まっています。
個人的にFTM(女性から男性)の場合は手術をしたところで外性器を形成するわけでは無い(生殖機能を取り除くだけ)なので外見変化は起こりませんが、そのままだと子が産める男性が誕生する事になり、それに合わせた法整備なども考えなければならないと言う事になります。もしMTFが戸籍上の性別を変更するに当たり手術要件が撤廃される事態になれば、男性器が付いている女性が法的に誕生する事になります。
こういった事を考えると、MTFの場合はそれが性犯罪に繋がる可能性も高く、現状でさえ時折肩身の狭い思いをしている一般女性が更に息苦しくなると思うのは私だけでしょうか?
海外では欧州やドイツなどで手術要件を撤廃しGIDの診断書すら不要とする制度が出来はじめていますが、こうした”性自認主義”が広がっていく事に私としては危機感を感じています。
最近思う事として、ジェンダーの自由が叫ばれるようになりましたが、それは自分で好きなように性別を変更できるという意味では決してありません。
人の心、その中には誰しもが女性的な部分や男性的な部分が存在します。もちろん自身の体の性と一致した心の性が揺るぎない人もいます。なので男性だけど女性的な人、女性だけど男性的な人、それは千差万別なので受け入れていくべきです。ただ、体と心の性が大きく一致しない人、違和感のある人をトランスジェンダーと定義しますが、GID診断を受け正式にホルモン治療を開始する or 性別適合手術をして戸籍上の性別を変える、つまり生まれた性と反対の性で生きていくという事は、現日本社会では”全てを捨てる覚悟”と”強い精神力”が必要で、あくまで最終手段と言う事です。
とくに第二次性徴期を過ぎてMTF(男性から女性)になる方は、心の内面とその外見を一致させるために多くの努力、多額の金銭を必要とします。脱毛や手術の痛みにも耐えなくてはなりません。ホルモンで声が変わるわけでも無く、髭も体毛も無くなりません。肩幅が狭くなるわけでも無く、身長が低くなるわけでも無い。華奢で可愛い服は纏う事すら出来ず、靴選びも困難になるはずです。生涯、性ホルモンを接種し続けなければなりませんし、素敵な女性を見る度に生まれる劣等感、そして見えない壁に対する孤立感に生涯苦しむ事になります。
そして、世間からは警戒および危険視され、誹謗中傷される存在になる可能性もあるのです。ジェンダーを隠れ蓑にした性犯罪者が無くならない限りは。これらの事に耐えきれる覚悟が無ければ、最後には自殺という結果が待っています。
危うい”性自認主義”が広がって、戸籍上の性別変更にGID診断も手術要件も必要が無くなれば、結局はトランスジェンダーへの偏見や差別等の溝が更に深くなり取り返しの付かない事になってしまうと、私は考えます。